「やってみる」と「わかる」の違い わかりやすいを疑う

第460号

今日は同じブログ365日継続仲間の瀧田勝彦さんの
19日のブログのテーマにヒントをいただいて
書いています。

分かりやすさは危険!
http://my64p.com/l/m/lh530a6y12JfZG

私の座右の銘は(というには、長すぎますが)
想いを言葉にするには限界がある
それは言葉が無力なのではない
言い表せないことをあきらめず、
なお言葉を尽くして表現しようとする。
そこにこそ生きる意味がある。

これは、読売新聞の洗筆というコラムで
みつけて、携帯にメモしたものを、
少し変形して心に留めているものです。

ちょうど小泉首相のワンフレーズが
話題になっていたときに見つけたものです。

解りやすさと簡単は違うと思っていて、

考えて考えて削ぎ取られて
簡潔になったわかりやすさと
わかっているところだけを切り取って
簡単にしたわかりやすさ

これは違います。

今日、瀧田さんのブログを読んでそれを思い出しました。

わかりやすいというのは、口当たりがよいです。

でも、それはある意味
氷山モデルの水面から上に出てる部分だけを
捉えたものにすぎません。

だから”わかった”というのは
やったことがあるという経験値が
”わかった”という再現性の入り口に
立ったに過ぎません。

何度かお話している「習慣のサイクル」

知らない
 ↓
知っている
 ↓
やってみる
 ↓
わかる
 ↓
できる
 ↓
している

つい「できる」と表現しがちですが、

”やってみる”ところで満足してしまうのか

それを”わかる”という気づきに昇華できるか

気づいたら常に再現できる”習慣の域”にまで持っていけるか

その先に、意識しなくても身についている
”している”という状態にまでなるかどうか

どの段階を切り取って、「できる」と表現
しているのか、思考の深さは全然違います。

だから私は、まずは自分を疑ってみます。
本当にわかったのか
本当にできるようになったのか

できる、のレベルがわかります。


私は評価制度の出来具合の基準の3(1~5の間)を
「わかる」に置いています。

間違いなくできるという定義ではなく
習慣にはなっていないけれど
やることの意味、大切さ
やり方をわかっている
あるいは、
意識しながら、できている状態
だと考えています。

3=普通 と考える方は多いようですが、
この普通とはどういうものか?を
最初に詳細に言語化しておくことが

上司として点数を付けるとき
上司が集まって評価を確定するとき(評価決定会議)
に、判断する際に重要になります。

お読みいただき、ありがとうございました。

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