評価制度の作り方「人事評価は物差し」

つまるところ「人と組織」
社長の想いを語りなおして
強み×8割の社員が育つ仕組み×関係性をデザインする
鈴木早苗です

第027号

開業当初からの顧問先の会長のお葬式に参列してきました。
私自身は面識はなく、社長や後継者のご子息と
日頃面談させていただいています。

この会社で2度目の人事制度を作ったとき、
後継者のおっしゃった一言に
はっと気づかされたことがあります。

これでようやく評価のものさしができました。

と言われたのです。

ものさし?
恥ずかしながら、すぐにはピンとこなかったのですが、
じわじわと、確かにものさし作りだなぁと思ったものです。

ちょうど、同じキャッシュフローコーチ仲間で、
私よりもずっと前から毎日ブログを書いている
竹内美紀さんのブログタイトルにも触発されて書いています。

ものさしと定規
https://ameblo.jp/quality-time-for-you/entry-12373746514.html

今はもう物差しなんて使わないのかなぁって思ってましたが、
形態は違うかもしれませんが、ものさし使うんですね。

15センチとかの定規があればいいんじゃないの
って思いますけど、どうでしょう?

定規と物差しの言葉の違いは何でしょうか?

辞書によると、
「定規」・・・・・ 直線や曲線を引くときに用いる器具 三角定規とかですね。

「物差し」・・・・物の長さを測る道具

と、あります。

仕事でちょっと線を引く時に、
ペンケースに入れている定規で長さも測ってました。
そもそも測る用途ではないので、
メモリは端から書かれておらず、
途中から始まっていたんですね。
納得、納得

物差しと言えば、私が小学生のころは、
母が作ってくれた袋に30センチの竹のものさしを入れて、
毎日学校に持っていっていました。

物差しって物の長さを測るという意味から転じて、
人や物事の価値を測る尺度という意味があります。

やっぱり、人事制度とも重なるところがあるようです。

後継者の方が、ものさしと口にされたときは、
こんな若い人が物差しと言う表現をするのか、
という驚きと違和感でしたが、
非常に言い得て妙の表現だったなと、
今は思っています。

基準という言葉はこれまでも使っていました。
辞書には
「基準」・・・・物事を比較・判断する拠り所となる一定の標準
と、あります。

オリンピック標準記録とかって言いますよね。

評価制度は確かに、現在の実力が、
一定水準に達しているかどうかを見る
という側面があります。

基準も物差しも尺度という意味があることから、
辞書の解釈としては、それほど意味の違いはない
のでしょうが、私としては、物差しのほうが、
より被評価者個人に焦点があたっているように
感じています。

評価期間のスタートからの成長度を測る
という考え方としての物差しですね。

評価基準は、1~5とか、SABCDという段階で
示すことが多いです。
このどこに今あるのか、というもの大事ですが、

スタート時1の人が3になったことは、
スタート時に4だった人が変わらず4という人より、
成長したと言ってもいいのかもしれません。

少なくとも、3より4が上とは言い切れない
という捉え方をしてほしいなぁと思っています。

どうしても成果目標とか、数字ばかりに目がいくと、
プロセスを見失います。

数字は大切ですが、
それをどうやって出したかが
もっと大事です。

がんばったことを評価しようということではありません。
その成果が再現性のあるものかどうかは、
プロセス次第だからです。

ですから、プロセスが大事なのです。

毎回その成果を出せてこそ価値があります。

社長はどうしても自分の目線の高さが基準になりがちです。
自分と比べたら、まだまだ。と、ついつい思いがちです。
ものさしという表現をしてくれたこの常務も
ご自身は非常に優れた営業マンです。

だからむしろ、社員さんには望みすぎてはいけない、
成果を急いではいけないと思ってこられました。

それが、人事制度を作って半年、1年たつと、
以前より出来ていることが多くなっていることに
気がついたのです。

それって、スタート時の状態を評価項目で
評価(可視化)しているからこそ、
伸び方がつかめたのでしょう。

まだまだだと思ってしまうのは、
知らず知らずのうちに、評価の基準が
上がってしまっていたので、
成長度が測れなかったのですね。

社員さんのスタート時点から、
今どれくらいに伸びたのか、
そこを測る目を持ってください。

確かに成長していることを
社長も社員さんも共有することも大切なことです。
自信になりますね。

部下が伸びた長さがわかるということは、
指導する自分が伸びた長さもまた、
実感できるというものです。
人を育てるということは、自分も育てることです。

会長の遺影の前で、社長、ご子息が
参列者にごあいさつされている様子を拝見しながら、
そんなことを感じながら斎場を後にしました。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

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