なぜ後継者支援をしてるのか 鈴木早苗プロフィール

つまるところ人と組織
社長の想いを語りなおして
強み×8割の社員が育つ仕組み×関係性をデザインする
鈴木早苗です

第014号

これを書いている今日はいいお天気です。
空がまぶしいなぁって見上げています。
いろいろ大変なこともありますが、
下向かずに空を見上げられる瞬間を持てることと、
そういうことがありがたいと思えるようになりました。

私がホームページに書いている現在の

ミッション
社長がもう一歩やり切る勇気の後押しをして、100年続く会社の礎に関わる

ビジョン
社長と社員が会社の中で自己実現する幸せを実感できる社会へ

理念
経営者と社員の成長する現場に関わる

2~3年前からビジョナリーパートナーの和仁達也さんや、
「チームNo.1」 代表 遠藤晃さんの講座で
あり方を学び、こういうものを考え始めました。
いくつか言語化してきて、今は上の内容です。

ミッションの「社長がもう一歩やり切る勇気の後押し」というのは
社長がもう一歩やり切る というより
社長が、あともう一歩やり切る というほうが
私の心情により近いと、今は感じています。

私の父は、大阪で、包装資材の会社を興し、
大手電機メーカーの協力工場として、
パッキングケース、いわゆる家電などを包装する
段ボールを作って納めていました。

新しく建てた新潟工場がうまく稼働できず、
超過債務で倒産にいたり、
家族で大阪から東京に出てきました。
今から30年以上前の話です。

当時は弟が東京の学校に通っていたので、
母も東京に行くことが多く、
短大を出て、勤めもせずウダウダしていた私が、
家事手伝いとして、家のことをしていました。

毎日考えごとをしている父
微動だにせずただ座ってたばこを何本も吸い、
ようやっと昼過ぎに出かける父

倒産がそこまで迫ってきている事など
まったく知らされていなかった私は、
近よりがたい、重い空気だけは感じながらも
おもしろおかしく生活していました。

倒産当時は、もう成人していましたので、
私が長女でなく長男だったら
このときの父に、何か声をかけられたのではないだろうか。

父も何か相談できたのではないか。
私が、父の会社に就職していたら
そもそも、こういう事にはならなかったのではなかったか。

自分が今の仕事で独立してずいぶん経ってから
感じたことです。
決して、当時父とうまくいっていたわけではないですが、
今ならかける言葉もあったし、
心情もわかる、というものです。

時代もバブル前夜でした。

もう少しだけがんばれれば、
決して返せない債務ではなかった、
とも思いますが、
そのときの父は、すでに心が折れていたのかもしれません。

倒産した後、何年かして脳梗塞で倒れて、
父は言葉を発することが出来なくなってしまったので、
父と、この当時の心境について、
結局父が亡くなるまで、話をすることはありませんでした。

私が25歳のとき、東京に家族で出てきて、
生まれて初めて就職した時の心境は、ブログでも以前少しふれました。
https://suzukey-stone.com/2018/04/14/01/

最初に勤めた会社の社長訓話で聞いた、

「会社が何をしてくれるかでなく、あなたが
会社のために何ができるかを、まず考えなさい」

その後、秘書検定を取って、社長秘書をやりながら
最終的に社会保険労務士という
国家資格を取って独立にいたるのですが、

まさに、あともう1歩やり切れる勇気(行動)の後押し
ができなかったのか、という後悔のようなものが、
今にいたる仕事へのきっかけなんだろうと思います。

独立したときは、
まだはっきりとは気づけてはいませんでした。

今は、父の倒産が私の人生を動かしてくれたし、
今の私の仕事や取り組む姿勢につながっていると確信できます。

いきあたりばったりの人生だと思っていましたが、
だんだん帳尻があうというか、無駄ってないんだなぁと実感しています。

あり方はできあがってきたのですが、
私自身の仕事のやり方は、
いまだに営業の流れを自分で作れているかと言えば、
人頼り、運頼りの状況です。

やり切れているかと言えば、
まだまだ結果に結びついていません。

365日ブログを書くきっかけをくれた裕治郎さんが、

不確定な希望の光が人生を狂わす

という記事を書いているのを読んで
激しく動揺しているくらいです。
裕治郎さんより年上なのに、まだまだ迷走中です。

それでも、独立してから15年、
人と組織づくりの支援という
この仕事でやってきたことは事実です。

落ち込もうと何しようと、動いていれば、
たとえ間違った方向であったとしても、
止まってしまうよりは、単発の仕事につながって
生き延びられると知っています。

何のために生き延びるのか、
何がしたいのかがわかっていれば。

今掲げているミッション(使命)の
もう1歩やり切る社長の後押しをする、

という言葉が浮かんだとき、
この先に答えがあるのでなく、
これまでの経験の中に指標があるのだと
気づかされました。

少しずつ、自分のことを認められるようになってきた
証なのかもしれません。

 

もう一度人生やり直せるとしても
何不自由しない生活だけれど、明日も今日と同じ日が
繰り返されるだけの人生よりは、
自分で人生切り拓き、
あともう1回、あともう1回と、挑む
今の人生のほうが、よほど楽しい。

私自身の自己実現に向かっているなと感じています。

私は、父の背中は押せなかったけれど、
関わる社長の背中を押したり、声をかけることはできる。

そう、ありたい!と強く思っています。

今、私は、事業承継を控えた社長さん、
あるいは引き継いだ後継社長さんを支援する仕事をしています。
気づけばそういう方々が私の話に耳を傾けてくださっていたのです。

このタイミングだからこそ、何かをやり切りたくて、
ブログを始めました。

自分の中にこの15年でどれだけの引き出しがあるのか。
それは誰かの役にたてる内容なのか。
向き合うことは怖いですが、書き続けてみようと思います。

自分で自分の背中を押せなくて、
社長の背中は押せないと言い聞かせて。

まずは1歩踏み出せました。

【最後に】

自分は二代目として事業は引き継げなかったけれど、
父が倒産した歳を知らないうちに超えた今、
代えがたいものを引き継がせてもらっていました。

会社によって、やっぱり人生は変わります。
社長さんも社員さんも幸せの形は違うけれど、
会社が、自己実現できる幸せな場になることを
目指していきます。
そして、社長さんも社員さんも幸せになってほしい。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

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