パワハラ防止は「人と人は 違うことを”認める”こと」

第631号鈴木早苗ブログ

6月1日、職場におけるハラスメント
防止対策が強化され
職場におけるパワハラ対策が事業主の
義務となりました。

法律の話は、以前このブログでも
書きました。

労働施策総合推進法に
「職場での優越的な関係で、
労働者の就業環境が害される
ことのないように」(第30条の2)と
定めたことから、

パワハラはいけないこと。
企業などはその対策をしなければならない。
と、法律で明記されました。

この労働施策総合推進法の
法改正が、パワハラ防止法の
役割を持つ、転じて

6月1日から
「パワハラ防止法」制定と
と言われるのは、このためです。
※中小企業は2022年4月より

この法改正前日の日曜日、
『パワハラが起きない組織作り専門コンサルタント』
として

5年で500回もの企業研修で
登壇している、
湯澤悟さん(社会保険労務士)の
セミナーをオンラインで聴く機会が
ありました。
https://office-yuzawa.com/

パワハラをなくそう、
というのでなく
パワハラを根絶する、
という使命感で
全国飛び回っている方です。
大変熱い2時間30分でした。

あらためて、
リアルでもオンラインでも
伝わるものは、伝わるんだと
感じたのは、

湯澤さんの
”パワハラを根絶させる”

という強い覚悟が
全編を貫いていて
こちらに響いてくる
からでした。

リアルがダメだから、ムリ
ではなくて、

どうやったら伝えられるか
という使命感が先です。

そうすると、
オンラインがどうだとか
言っているより

伝えるんだ、という
行動につながります。

湯澤さんは
被害者をなくすという
言い方ではなく、
行為者をゼロにすると
言います。

それって「当然でしょ」と
想いがちですが、
実は、深いなぁと思うのです。

もちろん、
目指すゴールは同じです。

誰でも、行為者になりかねない

というのは、誰もがわかって
いることです。

でも、その「誰」に
「私」は含まれていません。

私も行為者に
なりかねないとは
思っていないことが
パワハラの深刻さです。

昭和的な上司は
世の中が変わったから

こんなことを言ったら
パワハラにされてしまう。

と、思っている方も
多いでしょう。

自分が悪いのではなくて
世の中が変わった。

よって、
「こんなことを言ったら
パワハラと、取られて
しまいますよ」

ということだけを、
研修で伝えるのであれば
それでは、パワハラ行為者予備軍は
減りません。

コミュニケーションが
うまくいっていないことが
パワハラの根っこですから。

部下との
コミュニケーションに
問題があるなぁと
思っている上司の数だけ

パワハラの
行為者予備軍はいる、
ということでもあります。

厄介なことに
業務の範囲内で
部下を指導しても

パワハラと訴えられて
上司のほうが心を病んで
しまうことも少なくありません。

そこで、もう余計なことを
言うのはやめよう。と
思ってしまうう上司も
おられますが、

部下を指導するのは、
上司の重要な仕事です。

なんとかパワハラと
指導の境界線をみつけようと
学んでみても

スッキリ
線引きできる、
というものではありません。

厚生労働省も法改正の
リーフレットのなかで、

個別の事案の
状況等によって、
判断が異なる場合も
あり得るし、
職場における
パワハラに該当するか
微妙なものもある、

と認めたうえで、

日常においての判断は、
会社で都度、してください

と言っています。

突き詰めると
行為者と被害者の
人間関係という
個人の問題という
こともあります。

パワーハラスメント防止措置が
事業主の義務となったことからも

パワハラの防止は、
会社の重要課題です。

パワハラが起こって
その対応に時間を割かれることも

上司が部下との
コミュニケーションを
敬遠することも

会社からみると
生産性を下げることに
他なりません。

その認識のうえにたって

誰もが、
「私も行為者になる」ことに
気が付くことが、

まず、パワハラ防止の
第一歩です。

最後は私の数年前の失敗談です。

パワハラが起こった
お客様の事業場で
数年前に3時間程度の
ハラスメント研修を
1回行いました。

その元となった
パワハラ事案が再び、
最近になって被害者から
会社の相談窓口に、
よせられました。

行為者は数年前の研修の
振り返りシートで

「人と人は違うことがわかったので
相手にあった話し方をしなければ
ならない」と書いてくれました。

今回、ヒアリングのなかで最後に
今後どうしたいですか、とたずねると

行為者(とされた人)は、
「自分なりに気を付けていた。
今後さらに注意するが、私の努力も
(被害者に)わかってほしい」
というものでした。

”人と人は違う”
というだけでは
不十分で

人と人は違うことを
”認める”

というところまで
伝えなければ、
意味がありません。

自己肯定力が高いことは
悪いことではありませんが、

「認める」とは、

人と人は違うから、
「相手はどう思うだろう」という
視点の転換に気づけるかどうか、です。

認めてほしい、わかってほしい
という気持ちは理解できます。

でも、それは、あなた同様、
相手もそう思っているのです。

わかってほしければ、
まず、“わかる”こと

共感です。

パワハラは、
意識をかえなければ

行動を変えたつもりでも
相手には、
変わったようには
伝わりません。

お読みいただき、ありがとうございました。

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